北徹先生(神戸市民病院院長)との対談 (クリニックマガジン2010年12月号 北徹の医学フロンティア より)

クリニックマガジン 2010年12月号
対談 北徹の医学フロンティア2010 [第6回]

ゲスト

東京大学先端科学技術研究センター
代謝医学分野教授

 

酒井 寿郎

 

1988年東北大学医学部卒業後、仙台市立病院内科で研修医。1994年東北大学大学院医学研究科修了。同年9月テキサス大学サウスウエスタンメディカルセンター(Goldstein & Brown博士)分子遺伝学講座研究員。2000年東北大学助手(医学部附属病院腎・高血圧・内分泌科)、2001年科学技術振興事業団・創造科学技術推進事業オーファン受容体プロジェクト・グループリーダー。2003年東京大学特任教授(先端科学技術研究センター・代謝・内分泌システム生物医学分野)、2009年7月から現職。

ホスト

京都大学名誉教授
神戸市立医療センター中央市民病院院長

 

北 徹

 

1971年京都大学医学部卒業後、同附属病院第三内科入局。1988〜1995年京都大学医学部老年内科教授、1995〜2008年京都大学大学院医学研究科教授(内科系)。2005〜2008年京都大学理事・副学長。2008年10月から神戸市立医療センター中央市民病院院長。
現在、日本動脈硬化学会理事長。2010年3月に開催された第74回日本循環器学会総会・学術総会会長。

 

ヒールに徹して真実追究姿勢貫く
コレステロールからエピジェネティクス研究へ

動物は、細胞内でコレステロールを合成するとともに、細胞膜上にLDL受容体を発現して血液中のコレステロールを取り込んでいる。正常な細胞では、コレステロールが十分な量に達すると調節機構が働いて合成、取り込みが抑制される。この調節機構で重要な役割を果たすSREBP変換酵素を発見したのが、米国・Goldstein & Brown研究室留学時代の酒井寿郎氏だ。発見に至るまでには、大きなドラマが秘められていた。(編集部)

 

 

研修病院で循環器専門医の「かっこよさ」に憧れる

 酒井先生は、私がかつて留学していたテキサス大学サウスウェスタンメディカルセンターのGoldstein & Brown研究室で、細胞内コレステロール調節機構の重要なコンポーネントとなるSREBP変換酵素を見つけた人です。米国の最新の細胞生物学教科書にも載っている物質です。

酒井先生の父君は医師だと聞いていますが。

酒井 父は腎臓が専門の内科医で、福島県郡山市の日東病院で、東北地方で初めて人工透析を始めました。月並みですが、父の姿を見て私も医師になりたいと思い、東北大学医学部に進みました。

大学時代は柔道に打ち込んでいまして、専門領域に関して思いが強くなったのは、仙台市立病院で研修を始めてからです。救急患者をアグレッシブに受け入れていて、不整脈や急性心筋梗塞の患者さんが多い病院だったものですから、動脈硬化に興味を持ちまして、専門は循環器にしようと決めました。

研修医の私から見て、循環器や脳外科は「かっこいいな」と思えたわけです。病院の中でいつも重宝されて、患者さんの生死に関わる仕事をしていると。

 卒業したら、すぐに市中病院で研修したというわけですか。

酒井寿郎氏

酒井 そうです。2年の研修のうち半年くらいが循環器科での研修でしたが、そこで動機付けられて、当時私を指導してくれた先輩の出身医局であった東北大学の第二内科に入局しました。

実は、その先生は柔道部出身だったのですが、第二内科にはまだ循環器領域の研究グループがない時代に、東京女子医大で研究されたりして、第二内科の循環器研究の礎を築かれたパイオニアでした。その先生の勧めもあり、高血圧のカテコラミン研究などで知られていた第二内科に入りました。

 動脈硬化のリスクファクターである高血圧を研究している医局ということですね。

酒井 そうなんですが、当時、1985年頃ですが、日本で分子生物学が始まった頃で、北先生とGoldstein & Brown研究室で一緒だった山本徳男先生(現東北大学大学院教授)が戻って来られました。

 東北大学農学部出身で、ヒトのLDL受容体をクローニングした、すごい方です。

酒井 第二内科も最先端の研究を進めるためにいろいろとサーチしていたのですが、当時の助教授だった三浦幸雄先生(現東北労災病院院長)から「それなら山本先生の下に行ってみろ」と、私が国内留学することになりました。

山本先生の下で4年間、LDL受容体に次ぐ研究対象として、超低密度リポ蛋白(VLDL)受容体をクローニングし、遺伝子構造を解析する研究を行いました。私としては、初めての経験ですが、このときの研究体験が何かを仕上げる礎となっています。

 酒井先生はその時まで分子生物学の実験は全くしていなかったのですか。

酒井 はい、全く見よう見まねです。大学院生の先輩に聞いたりして、何とかできるようになりました。

 若いスタッフがいて、気軽に教わることができたのですか。

酒井 そうですね。

 それは結構、大事なことなんです。そこでVLDL受容体のクローニングをしたと。

酒井 当時は分子生物学が始まったばかりで、マニュアル本も何もありません。試薬を作って、『マニアティス』という本を読んで、実験系を立ち上げるといった仕事ばかりで、楽ではありません。

また、研究が8合目まで完成していても、データが1年間全く出ないので、うつになったこともあります。ちょっと視点を変えただけで、クリーンヒットが何回も出るようになったのですが、そこで頑張ったことは良い経験になっています。今の学生にも、このときの経験を話して、研究が行き詰ったときに乗り越える大切さを教えています。

その後に留学したGoldstein & Brown研究室も厳しいところでしたが、いろんなトラブルシューティングをうまく乗り越えることができたのは、大学院でのこの経験が生きたからです。

 

重要でない仕事で認められ中心プロジェクトに抜擢

 Goldstein & Brown研究室の厳しさはよく知っています。第二内科からすんなり留学できたのですか。

酒井 医局人事の慣習に従って、半年間ほどは国立仙台病院で臨床に従事しました。

 大学に戻ってくるアテはあったのですか。

酒井 それはありませんでしたが、留学はしたいと思って、大学院卒業と同時にアプライは出していました。

 臨床だけになってしまうのではなく、もう少し深く研究をしたいと思ったわけですね、実は私は大学院を出た時に助手になるよう誘われたのですが、「留学したい」と断りました。助手になりたかったわけではありませんので。

酒井先生が、留学というステップに進みたいと思ったのは、はやり山本先生の研究室でひとつの仕事を仕上げた達成感があったからではありませんか。

酒井 その通りです。

 では、Goldstein & Brown研究室での研究内容をお話し下さい。

酒井 コレステロール調節の要となる転写因子の研究です。北先生たちが研究されていたLDL受容体を遺伝子の発現レベルで制御する転写因子は、非常に奇妙な格好をしていました。コレステロールの調節機構では、LDL受容体の発現量が、細胞内コレステロールの量に応じて変化することが大変重要です。スタチンが効く理由は、LDL受容体の発現をコレステロールレベルで調節しているからなのですが、それを制御しているのが転写因子SREBPです。

私が手掛けたのは、SREBPがどのようにしてコレステロール応答性に活性化されるかというテーマでした。

 そのプロジェクトには、すぐ参加が許されたのですか。

酒井 いえ、初めは何にもならないような実験をさせられましたが、これは力を試されたのだと思います。どのくらいできる人間なのかと。ですから、つまらないと思われるプロジェクトでも一生懸命やっていたら、あるときBrown博士がGoldstein博士に「彼にはもっと面白いことをさせろ」と言ってくれたんです。するとGoldstein博士が、「それならSREBPがどのように切断されて活性化するのかを研究させよう」と大変重要なプロジェクトを任されることになりました。

 まさしく試されていたのですよ。どこまでつまらないプロジェクトなのかを、相手に訴えかけることができるかどうか、Brown博士はそれも見抜けるような人です。彼等にとっては、給料を出しているのだから、使い物になる人間かどうかを冷静に見極めているわけです。

 

ボスの支持する人物の研究内容を追試で否定

 LDL受容体は既にGoldstein&Brownが解明してノーベル賞を取っていたのですから、その延長線上にある細胞内のSREBP活性化機構の研究は、ラボの最も重要な中心命題ですね。

酒井 SREBPを精製したのは、当時ラボにいたジャオドーン・ワング博士です。先に彼がSREBP活性化機構を研究していて、「SREBPを切断する酵素を見つけた」と言っていました。

しかし、追試してみると、それはin vitroでは切断するのですが、in vivoでは切らないことがわかりました。Goldstein、Brown両先生が彼を愛していたので、かなり大変でした。1年半くらい彼の言うことが本当かどうか検証実験をやらされまして、最終的に私が「細胞内では切らない」という結論を出しました。

結果的に私に軍配が上がったのですが、ワング博士が見つけたものも実は大きな発見で、アポトーシスの誘導に関わる中心的な酵素カスペースだったことが、その後の研究でわかっています。しかし、それはSREBPの変換酵素ではなかったわけです。この間、私は憎まれ役でした。

 それはすごいことですよ。

何しろボスであるノーベル賞学者が支持している人物の説を否定するわけですから。しかし、酒井先生は真実を曲げなかった。

酒井 ボスの望むようなデータを出したら、私はヒーローになったかもしれませんが、あくまで「違います」と言い続けました。本当にヒールでした。

 

コレステロール調節機構活性化モデルを証明

 短期間の留学で、相手のシステムでそう言い続けるのは大変なことです。ただ、Goldstein&Brownのラボはvitroでやった実験を必ずvivoで検証することを繰り返しています。だから、最終的に先生の主張が受け入れられたのでしょう。

SREBPは、細胞内の小胞体に存在し、それがCOP2 によってゴルジ体に移行し、最後は核に行きます。ただ、どうやって核に行くのかわかっていなかったのですね。たとえて言えば、東京から京都に行くのに、東海道を通るのか中仙道を通るのか、道筋がわかわなかった。それを探していたわけですね。

細胞内コレステロール調節機構とSREBP変換酵素(図中のS1PとS2P)

酒井 はい。私が発見したのが今でいうSREBP変換酵素S1PとS2Pです。カスペースがSREBP変換酵素でないことがわかり、それからSREBPのどこで切れるのかを確実にする地味な実験を続けました。実は2ヵ所で切れることがわかりました。1回目は小胞体内腔で、2回目は膜貫通ドメインに近い部分で切れると。それを切断するプロテアーゼを探し、S1PとS2Pを見つけました。

 なるほど。細胞内のコレステロールセンサーとして脚光を浴びているSCAPはそのとき、もう見つかっていましたか。

酒井 はい、私と一緒にやっていた研究者がちょうどその頃見つけていました。

今ではSCAPはSREBPと結合してステロールセンサーとして働くことがわかっていますが、私はSCAPとSREBPが複合体を作ることを証明しました。それがあったので、S1PとS2Pを同定できたのです。

体細胞遺伝学という方法ですが放射能によって多数の変異株を作り、その中のS1P欠損細胞を用いてエクスプレッション(発現)クローニングという方法で、欠損した遺伝子を同定することができたのです。

つまり、私は最初の2年間は、ジャオドーン・ワング博士が取ったカスペースではなく、別の切断酵素があると言い続け、次の2年間でコレステロールセンサーが何か、最終的にそれを活性化させるハサミは何かを突き止めて、細胞内のコレステロール調節機構の活性化モデルを証明したわけです。最後は嬉しかったですね。

 現象に対して仮説を立てて、証明する方法ですが、よく4年くらいの留学期間でできましたね。ショートカットする方法論を考えないと成功しませんから。

 

優れた業績示した若手に日本でポスト与える仕組みを

 さて、4年間米国留学されて帰国された後は、どこにおられたのですか。

酒井 岩出山病院という人口9,000人の町の公立病院で診療しました。

 医局人事ですね。ただ、大学でポストを得ないと科学研究費が得られませんから、研究したくてもできないですね。

私はいったん助手の話を蹴って留学しましたが、京都大学の老年内科に拾ってもらって、帰国と同時に助手になりました。それで科学研究費がもらえるのですから、研究を志す若い人には大きな問題です。

今後、日本の研究を発展させるには、優秀な若手研究者を評価する仕組みを作らねばなりません。酒井先生は、米国時代に何度も『Cell』に論文掲載されたような人なのですから、論文の内容を評価してどこかの大学に迎えられるようなシステムがあれば良かったんです。今は大学によってバラバラです。東大では助手の身分のまま留学できる制度もあるようです。

また、京大では最近『白眉プロジェクト』を作り、優秀な若手研究者を大学の枠を越えて25人採用するようにしています。

酒井 私は幸い1年10ヶ月後に東北大学附属病院の助手が空いて、そこに入ることができました。1年半くらいいるうちに、血管収縮物質エンドセリンの発見者柳沢正史教授(現テキサス大学サウスウェスタンメディカルセンター教授)に誘われて東京に出てきました。柳沢先生はサウスウェスタンメディカルセンターでは隣のプロジェクトにおられたのでよく知っています。

2年くらいして、東京大学先端科学技術研究センター教授の児玉龍彦先生にこちらに呼ばれたわけです。

 児玉先生とはどのような出会いがあったのですか。

酒井 動脈硬化学会です。岩出山病院にいた頃、山本徳男先生に「そこに引っ込んでいないで学会に出て来い」と言われて出かけたら、SREBP関連の発表があった時に、座長の山本徳男先生が「もし、ここにSREBP変換酵素を発見した酒井君がいたら立ってください」と言われたことがあります。

すると、山本先生と並んで共同座長だった児玉先生がセッションの最中にもかかわらず私の席に来て下さって「今度、先端研でセミナーしてもらえませんか」と。それから時々お声が掛かるようになりました。

 

絶食遺伝子の研究を経てエピジェネティクス研究へ

 そうでしたか。帰国してから研究の方向は変わりましたか。

酒井 はい。コレステロール研究をしている研究者は大勢いますので、どの方向に進もうか少し悩みました。

北先生にもアドバイスいただきましたが、出発点は同じでも、研究領域を同心円状に拡げていけば良いと考えています。いずれ私はコレステロールに帰るだろうと思いますが、当分はエネルギー消費の方をやろうとしています。たとえば絶食で誘導される遺伝子、絶食で活性化される遺伝子などを東北大にいた頃から10年くらい手掛けてきました。

最近、『Cell Metabolism』に載ったのは、絶食で顕著に上がるアセチルCoA合成酵素というもので、酢酸「酢」を活性化して糖にかわるエネルギーとなる、という発見でした。同じように絶食で誘導されるものとしてPPARδがあります。薬理学的にPPARδ(デルタ)を活性化するとメタボリックシンドロームが改善することがわかり、現在もその仕事を続けております。

 私がBrown博士に言われたのは、コレステロールというキーワードから離れないようにしていても、同心円状に研究を発展させれば、最後には世界で1人か2人しか研究しないような領域に行き着くということです。

今、やろうとしていることは何ですか。

酒井 北先生が手掛けられたLDL受容体のジェネティックス(分子遺伝学)の時代の延長で、私はソマティックスジェネティクス(体細胞遺伝学)を用い、脂質代謝の仕組みを解明してきました。近年、この遺伝子配列を越えた遺伝学として、エピジェネティクス(後天的遺伝子修飾による遺伝情報)がこれからのフィールドではないかと思っています。ここで仕事作りをしようと思っているところです。

 ヒトの個体では全ての細胞が同じゲノムを有していますが、細胞ごとに役割は異なります。約2万の遺伝子にそれぞれを活性化するスイッチがあり、ON、OFFすることによって、異なる役割を果たしています。それを研究するのがエピジェネティクスですね。

酒井 胎児の時に低栄養状態にさらされると肥満・糖尿病を発症しやすいという話が、エピジェネティクスを象徴する話です。ゲノムの後天的な修飾によって遺伝子のON、OFFが変わってしまうわけです。

また、「体質」という言葉がありますが、たとえば、太っているけれど糖尿病になりにくい人は現実にいて、「それは体質だ」と表現されます。「体質」とは何でしょうか?ポストゲノムプロジェクトでSNPsの研究は進みましたが、体質まで解明することはできませんでした。このあたりで私の今後の研究を進めたいと思っています。

 酒井先生の話を聞いて、改めて感じるのは、事実をあらゆる方法を使って地道に実証していくことの大切さです。時間はかかる可能性はあるけれど、相手が権威者であろうと屈しない態度は立派です。酒井先生が留学したとき、Goldstein、Brown両博士は既にノーベル賞を受賞していたのですから。

唯一の拠り所は、科学的実験的データによる実証ですね。真実はひとつだと。これがあるから、権威者とも対等にディスカッションできたのでしょう。逆に言えば、Goldstein、Brown両博士は、どんな事情があろうと科学的事実は認める柔軟な考えを持っておられたわけですね。

酒井 真実しか出さない、出せない、という信念でやっています。

 それは若い研究者に対して素晴らしいメッセージになっています。

最後に、酒井先生から若い人たちにひとことお願いします。

酒井 新しい概念を切り開くような芸術的、独創的な研究をしていただきたいと願っています。そのためには、何が問題なのか、サイエンスにおいて克服すべき課題なのかという興味を常に持ち、解明していくことが重要です。Curiosityこそがサイエンスを切り開いていくのだと思います。

 『Circulation Research』2010年5月号のインタビューでは、Goldstein、Brown両博士が、Just Curiosityと言っておられます。当時の花形であった、がん、発生分化、神経科学の研究に進まず、コレステロールの研究に進んだのは、まさに好奇心があったからだと。ただ、Just Curiosityといっても、それを常に維持するのはなかなか大変なことです。酒井先生には、今後もCuriosityを持ち続けて、画期的な研究を進めていただきたいと思います。ありがとうございました。


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